<始まりの章>
走り始めて200kmを既に超えました。
走り始めて200kmを既に超えました。
~体重もなんとか順調に減ってきています。
人類の永遠のテーマでもある健康、
長寿それは古(いにしえ)より権力者から一般大衆までも
誰もが望んだことでもあり、
科学の進んだ現在でも実(まこと)しやかに囁かれています。
その永遠のテーマに近づくために日々出来ることそれは
とくに年金が欲しい!てな訳ではないのですが健康を保ち、
いつまでも若く?社会に貢献できること!いやいやかっこ良すぎる!
果たして本当の自分は何のために走っているのか?
この坂道を越えたら何があるのか?
金銭には替えられない大事なものを求めようと思っているのか、
それは誰に対して。。。
何kmも走っているとヒマでいろんな事を考えてしまうんですね!
でも苦しいけど楽しい=忘れてください!
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これにはしっかりとした訳がありまして、
今の距離を中山道に照らし併せてみると、
ウロウロしているのかなと思います
前回の茂田井宿(もたい)からは芦田-長久保-和田の順ですが、
実は和田宿から下諏訪へ抜けるには和田峠という難所を越えなければなりません。
【和田宿】標高820mの高地に1603年(慶長七年)に
つくられた江戸日本橋から28番目の宿場で、
1861年(文久元)3月大火で本陣など焼失しましたが、
その年の11月に皇女和宮が宿泊予定のため昼夜突貫工事で再建して
無事迎えることができました。
ちなみに皇女和宮一行は4日間で延べ8万人が通ったと
言われてますが現在も本陣、脇本陣、旅館など当時の姿を残して
保存されています。
訪ねたときは祭りの最中だったのでしょうか、
宿全体に提灯が飾り付けてありました。
距離は5里半(約22km)と長すぎる上に、
峠道は険しく降雪で人馬ともに想像を絶する厳しい峠越えでありました。
厳冬期に至っては途中で命を落とす旅人も少なからずいたそうです。
まさに命がけだったのですね・・・
現在の峠道はごらんのように小路風にアレンジしてあります。
また傍らにはお地蔵が佇んだりしてる箇所もあり往時の雰囲気を残しています!
忠実に中山道を走破のコンセプトの下にパイパスではない旧道を走ることに・・・
道路が狭いうえに七曲りの様相を呈しており、
決して真似してはいけません。
谷底へ墜落の憂き目に遭うかもしれませんので、
車のすれ違いも相当なものがあります。
やがて旧道は国道のバイパスに合流すると、
急に交通量が激しくなり今度はもっと恐ろしいトラックの煽りです。
道路わきの待避所へどうにか逃げ込み難を逃れましたが
現在でも交通の難所なんですね
長い下り坂を下りていくと前方に諏訪湖の姿が・・・
長い下り坂を下りていくと前方に諏訪湖の姿が・・・
道が狭いのでくれぐれもよそ見は禁物です。
有名な下社春宮を抜けると、
中仙道29番目の宿場・下諏訪宿へ到着します。
町並みは800mほどあり、旅籠は40軒もありました。
当時の宿人は男女合計で1345人で
男706人、女639人で中堅規模でしょうか。
中山道唯一の温泉のある宿場であったため賑やかな雰囲気だったと思います。
現存する旦過湯(たんかのゆ)は当時から続いているもので
入浴料が2百円程度と非常にお安いです。
ただしいつものことながら湯温が高くて猫肌の方には、度胸が必要ですね。
ただしいつものことながら湯温が高くて猫肌の方には、度胸が必要ですね。
<最終章:北国諏訪湖ウンチクを語るの巻>
ご存じかとは思いますが諏訪湖は、毎年冬には全面結氷します。
年にもよりますが、その氷の厚さが10cm以上になり、零下10℃程度の冷え込みが数日続くと、湖面の氷が大きな音と共に山のように盛り上がる「御神渡り」という現象が見られます。
ご存じかとは思いますが諏訪湖は、毎年冬には全面結氷します。
年にもよりますが、その氷の厚さが10cm以上になり、零下10℃程度の冷え込みが数日続くと、湖面の氷が大きな音と共に山のように盛り上がる「御神渡り」という現象が見られます。
これは、気温の上下により氷が膨張と収縮を繰り返すことによって起きる自然現象なのですが、諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへと渡る恋の道であるというロマンチックな言い伝えがあり、今も神官が御神渡りかどうかを認定する拝観式が行われます。その時、湖面の割れ目の状態を見て、その年の天候や農作物の出来、世の中の吉凶までも占います。御神渡りが起きない年は「明けの海」と呼ばれます。
大変残念なことでもあるのですが最近では、温暖化のせいで起きない年が多くなってきていると聞きます。
旅はまだまだ続きます。