最近は…一週間毎にアップ状態です。
今回のテーマは「東京駅の歴史」についてです。ちょっとしつこい
その前にご覧の写真ですが百円/10分を、
この金額をどう子ども達に説明すればいいのでしょうか?
最近すごく悩んでいます。日本の首都であり、
政治経済の中心地であるからして地理的な条件も加味されている
とは思うんですが、すなわちここに土地を持っていれば
これだけ儲けることが出来るという訳だ
不思議なことに最初の30分は100円/10分ですが、
その後30分/300円とはあまり意味がないような・・・
この方程式も東京ならではなんですね~
前置きが長すぎたので本題に入りたいと思います。
ご覧の写真、階段下の床にちょっと毛並みの変わった四角い表示が
ご覧の写真、階段下の床にちょっと毛並みの変わった四角い表示が
あるのがお分かりでしょうか?
トランクを持った女性ではありません、下の床の部分です。
ここは東京駅のコンコースで先の女性が階段を昇っていますが
ここは東京駅のコンコースで先の女性が階段を昇っていますが
その先が新幹線乗り場になります。
あまりにも遠くからだと失礼なのでもっと近くに寄ってみましょう。
するとこんな感じです・・・でもやっぱりなんだかよく分かりません?
するとこんな感じです・・・でもやっぱりなんだかよく分かりません?
いったいこれは?何かのマークなのか、
なぜここだけこんな床になっているのか?ここに立ったらタイムスリップ
するなんていうのも面白いかも・・
この床の直近の柱の様子です。
おやおやなにかの銅版らしき掲示物がありますよ・・
普段歩いている分にはまったく気づくことはないでしょうが。
ましてや探しに行っても見つからず、
駅の案内に聞いてようやく判明したのです、
それではもう少し近づいてみましょう。
それによると1931年(昭和5年)浜口首相は、
陸軍大演習へ出かけるため、岡山へむかうことになった。
11月14日、東京駅午前9時発特急「つばめ」号に乗る予定であった。
浜口首相は、随員をしたがえて、午前8時45分前後に
東京駅の玄関口にあらわれ、駅長室にはいって、しばらく休憩した。
発車時刻5分ほど前に、
東京駅長の先導で「つばめ」号の前方から六両目の一等車にむかったところ、
突然、一発の銃声がとどろいた。
4メートルほど先に、久留米かすりの着物に紺の袴をつけた男が、
拳銃を持ったままつっ立っていた。犯人の佐郷屋留雄(さごやとめお)。
随員の秘書官が「やられた!」と叫んだ瞬間、
首相は、両手で腹部を押さえながら、その場に崩れそうになり、
周囲の人にあわてて抱きかかえられた。警戒の警官が犯人に飛びかかり、
その場でねじふせて、手首と足に無数の縄をかけた
ほんの一瞬の出来事であった。
本事件はプラットホーム上で起きたものでしたが、
近年の構内線路配置の見直しで4番ホームがなくなり、
その直下に当たる10番線下のコンコースに印されています。
この佐郷屋留雄は
死刑判決かとおもいきや結局、昭和15年には釈放の身となっています。
戦後も右翼団体として活動を続け映画のモデルになったりもしています。
定かではありません。
いつも何気なく通っているところにこんな歴史があるとは・・
まだまだ修行が足りないのでした。
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