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日々の生活を中心に、たまに自然を愛でながらのキャンプライフ

▶日本橋は旅の出発点🐎

 
日本の旅の出発点として、また道路の起点として
少なからず登場するのが「日本橋

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よく道路の脇に東京から何kmとかの表示を
見たことがあるとは思うのですがその起点となっているところでもあります。

 

日本橋の名前の由来ですが、
架橋当初は単に木二本が渡されただけの「二本橋」だったものが、
橋の改修とともに「日本橋」に変わっていったという説があります。

 

本題ですが結構、前から行ってみたいなぁという願望はあったのですが今回、
北風の吹きつけるなか出かけてきましたのでその報告です。

 

日本橋には、勘定奉行の管轄のもと、金の製錬や金貨の鋳造、
発行を行う「金座」が置かれていました。

 

明治に入って造幣局が設置されると金座は廃止されますが、
その跡地に設立されたのが写真の日本銀行


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また将軍のお膝元で、交通の要衝でもあった日本橋には、
自然と人、物、金が集まりました地方の商人はこぞって支店を出し、
街に集まる人を見込んだ芝居小屋からは独自の文化が生まれました。

 

こうして日本橋は、一日に三千両が動くという商業、金融、
文化の中心地として成長していったのです。

 

写真は日本橋三越ですが人出も多くクリスマス色に染まっております。

 

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現在の橋は明治44年製(二十代目)で石造り、アーチがとてもきれいです。

 

関東大震災や空襲にも耐えて平成11年に国の重要文化財となっています。
東京大空襲焼夷弾の痕跡もあるとのことでしたが発見できず・・無念

 

橋の上には首都高速が架かっていますが、
これは東京オリンピックに間に合わせるため急遽川に沿って作ったもので
用地買収のリスクを避けるためだということです。

 

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近年、もとの景観を取り戻そうと首都高速を移設する動きもあるようです。
日本橋五街道の出発点(鉄道の0キロポストと同様)と
決められたのは今から400年ぐらい前になります。

 

その橋の中央に「日本国道路元票」なるものが埋め込まれていますが
昭和47年の日本橋の道路改修に伴い、
長い間親しまれてきた「東京市道路元標」が橋の北西側たもとに移されました。


撤去跡には50cm四方のブロンズ製の
「日本国道路元標」が埋め込まれ、文字通り日本の道路の起点として
今でも役割を果たしています。
こちらは佐藤栄作(第61、62、63代内閣総理大臣)の書となります。
場所は橋の中央付近に埋め込まれています。

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柱には徳川慶喜(最後の将軍)筆によるレリーフが貼り付けられており
獅子や麒麟の像もその雄姿を誇っています。

 

ここでは全部紹介できませんが周囲には公園(休憩所)や記念碑などがあり
探検するにはもってこいと思います。

 

ところで角にある交番のお巡りさんと目がチラリと合い
ロックオンされてしまいました。
特に悪いことはしていないと思うのですがカメラ持ってフラフラ
していたので怪しまれたのかもしれません。

 

 
 
 
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