その前身を東山道とも呼んで古代から中世にかけて西国と東国を結ぶ
重要な街道でした。
小田原北条氏が倉賀野・高崎・板鼻・安中・松井田・坂本の六宿を創設
武田氏が伝馬の継立を行っているなど、
以来10年を経て慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、
家康がまず手をつけたのが道路の整備でした。
同6年東海道を基にして五十三次が定められ、
万治2年(1659)には大目付高木伊勢守守久を初代の道中奉行とし、
さてこうして発展した中山道は、
東海道とともに江戸と京を結ぶ重要幹線として発展しました。
幕府の旗本などで大阪勤番の者は、
また東海道のように河留めの多い大井川、あるいは浜名の渡し、
桑名の渡しなど水による困難がほとんどない故に
女性の道中に好まれることも多く、
さて前置きが長くなりましたが北国が今まで走破した距離は、
現在はどこ辺になるのでしょうか?
おそらく群馬県には入っていると思いますが、
詳細は次号でお知らせします
もちろん、地図はこれを利用して書き込んでいきますので
宜しくお願いします。
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