😅ゴローの人生楽しんだ方がいいね!

日々の生活を中心に、たまに自然を愛でながらのキャンプライフ

▶のぼうの城

 
昨晩遅くまで唄っていた関係で、喉の調子がいまいちです。
ここ関東地方は天気は、良いのですが北風がとても強く
 
長時間の行動は骨身に染みます。特に最近は、
老化現象が著しいため、もはや抵抗力は残っていないと思われます。

 

イメージ 1

 

そんな中、野暮用で埼玉県は行田市に出かけて参りました。

途中、車窓から雪景色の富士山が見えておりました。
今年になって初めてではないでしょうか?真冬でしか
も風の強い日の条件が、揃うとこちらでも見えます。

 

二枚目は出張の折、撮った写真ですがこの季節の上空からだとこんな感じです。
五合目と登山道もしっかりと確認できてます。
ふと以前、登山した時のことを思い出しました。

 

深夜の12:00頃に五合目を出発して8:00に頂上へ着きましたが
このとき台風に襲われ散々な目に遭いました。
なぜこんな日に登って来るのかと、山小屋のオヤジも嘆いていたほどです。

 

強風で細かい石ころが飛んできて顔に当たり、目を開けてられません
おまけに空気は薄くなるし、カッパを着ていても冷たい雨で体温は下がるばかり
飢えと寒さに堪え、頂上へ辿り着いたら案の定ガスで何も見えず…

 

疲労困憊のなか、山小屋でラーメンを注文しその間、
横になってると「起きれ」と主人が言う、申すには休憩所は隣だと!
(もちろん有料の)さらに下山中に友人の靴底がはがれ、これも悲惨でした。

 

今思うと青春とは、このことだったのでは…
時は移り今度は雲の上から、その舞台を眺める、不思議なものです。
 
あの苦労して登っている最中、今との時間差がなかったら
空を見上げたとき、もう一人の自分が上空にいるんですね。

二度と登らないとそのとき誓ったのですが、最挑戦の文字が
もちろん天気図を見て!

 

イメージ 2

 

さて本題ですが、所用も無事?
終わり向かった先が、市内にある忍城(おし)址。
住宅地内に突如として現れますので違和感を感じるかも知れませんが、
全体的にこじんまりとしています。
 
写真の三層の櫓内部は博物館になっており、
もちろん当時は、このような感じではなかったものと思いますが
付属する建物と併せて、独特の存在感があります。
 
@93さいたま景観賞平成5年11月受賞 
@都市景観大賞平成7年10月受賞
などの栄誉も戴いています。
 

 

イメージ 3

 

忍城の歴史は1,478年ごろ
成田顕泰により築城された「守り易く攻め難い」
難攻不落の名城であったと伝えられています。
 
天正十八年(1,590年)豊臣秀吉の関東平定のなかで戦われた
石田三成忍城水攻めにも堪え、水に浮くのかと恐れられ
「忍の浮き城」とも称されたともいいます。
 
寛永十六年(1,639年)時の老中阿部忠秋が入城し、忍城大改築に着手 
孫の正武の時代にいたり忍城御三階櫓の建設、
城門土塀の修築などが完成し、面目を一新したという 
 
文政六年(1,823年)伊勢の桑名から松平忠孝が移封し忠誠のときに
明治維新を迎えました。
 
市では維新後、とりこわされていた城郭の面影を再建して
永く後世に伝えることになった。 =案内板より=

 

イメージ 4
 
 

イメージ 5

 

本稿では省きますが、三成の水攻めやその方法、
秀吉や部下との関係など調べてみると諸説入り混じっているようです。
 
もし、詳細などもっと知りたいのであれば
別途調べていただければいいのかなと思います。

 

この城だけではなく三成が作ったといわれる石田堤、
その攻め難さとなった湿地帯、陣のあった丸墓山古墳なども
併せてマクロ的に見るのもいいかも知れません。
 
忍城址の東小路と商店街や公園通りのアクセスとして、
市役所の南側に隣接して、
木陰と水の流れが美しい遊歩道「浮き城の径」が整備されています。
こちらは平成6年3月に完成し比較的新しいものです。
 

 

イメージ 6

 

渡りたかったのですが、濠に架かる忍城木橋は現在修理中でした。
橋の向こう側にはすでに住宅地です。

 

イメージ 7

 

鐘楼に提げられた鐘は、
殿様が伊勢桑名より忍へ移封となった際に
桑名より持ってきた鐘を写したもので、本物の鐘は郷土博物館に展示されています。
 
毎年12月31日には年越しの鐘が撞かれ、賑わうそう
なので出かけてみたいですね。
 
 
 
 
.