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▶江戸開城西郷勝會見之碑

※ブログ引っ越しの際に写真が傾いています。
 
秋の気配が感じられる朝夕となりましたが
くれぐれもお腹の防備には気をつけてください。

 ※秋の夜長、バリウムがやっと出てきた時は感激しました。

 

さて今回は、会社の近くにある「江戸開城西郷南周、勝海舟會見之碑」
を訪ねてみました。

 

付近は昼間でも人通りが激しく、
シャッターチャンスにも難しいものがありますが
周囲の目も気になることから、ある程度の勇気が必要となります。

 

イメージ 1

※小さいですが歩道中央付近の丸い物、
後方のビルは三菱自動社の本社になります。

当時のこの場所は薩摩藩蔵屋敷で碑の裏側は海となっていました。
すぐそこに山手線が走っていることを考えると不思議な感じがします。

 

イメージ 2

 

(1868年1月27日~30日)鳥羽伏見の戦い
旧幕府軍と薩摩・長州の連合軍との戦いは、
その数で3倍もある旧幕府軍が敗北し、
勝った薩長を中心とする新政府軍は「官軍」と名乗ってさらに江戸へ
東征を開始します。

このときに新政府軍の東征軍の総大将的役割を果たしたのが
東征大総督府下参謀」に任命された西郷隆盛でした。

それに対し、新たに陸軍総裁となって
旧幕府側の代表として、対峙することになったのが勝海舟でした。

 碑の正面には、おなじみの西郷と勝の銅版がはめ込んであります。

 

当時の様子はというと上野寛永寺に謹慎中の徳川慶喜
側近の高橋泥舟に官軍の首脳部に恭順の意を伝えるよう交渉を頼みました。

 

泥舟は信頼のおける人物として
義弟の山岡鉄舟を推薦し鉄舟は引き受けました。
 
鉄舟は友人の薩摩藩士益満休之助を伴って官軍のなかを
くぐり抜けて駿府(静岡)に陣取った南洲(西郷隆盛)の元に出かけました。

 

鉄舟が頼まれたことは「江戸城は平和裡に明け渡す。
慶喜があくまで恭順の意を示していることを伝え
この慶喜を入城後の官軍がどうするか確認すること」などでありました。

 

一説によると、勝と西郷の歴史的名場面だと言われるようですが
二人の会見は、実はこの駿府での西郷、山岡の下交渉ですでに決められていた
との再確認でありそれほど緊迫した談判ではなかったとの見方があります。

 

勝海舟からの親書と同伴の薩摩藩士益満休之助に
助けられたとは言え剣客鉄舟の官軍参謀南洲との談判の方が
はるかにすごかったのではないかというのであります。

 

当の静岡市にも「山岡・西郷会見の碑」なるものがあります。
 

 

イメージ 3

<裏側碑文より>
慶應四年三月十四日 比地薩摩邸に於て西郷勝両雄會見し
江戸開城の圓満解決を図り百萬の民を戦火から救ひたるは其の功誠に大なり
平和を愛する吾町民深く感銘以て之を奉賛す 
昭和二十九年四月三日 本芝町會会
 
 
 
 
 
 
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