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勝海舟巡り(墨田区)

江戸の末期慶応四年(1868年)、勝海舟西郷隆盛と会談し江戸城総攻撃を回避
江戸が戦火を免れたために、今の東京が、そして近代化されるための都市基盤が残ったと考えられます。
もっとも会談の前に山岡鉄舟の活躍もあったことも忘れてはいけないですね
墨田区は、勝海舟が生まれ青少年時代をすごしたところでもあります。本所地区には、今でも勝のゆかりの公園や寺院が点在します。そして今回は、勝の痕跡を探す旅に出かけて参りましたのその報告です。
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右手前の建物がアサヒビールの本社ですが、独特なオブジェが有名です。
その隣の丸みを帯びた建物が墨田区役所、手前の橋が首都高速5号線ですが、一番奥の橋げたと二番目の橋げたの間に海舟の銅像が見えます

 

当の墨田区役所には、海舟コーナーが設けてあり、艦長として日本人初の太平洋横断の偉業を成し遂げた蒸気船「咸臨丸」の模型や、江戸城開城の様子を描いた絵画が目を引きます。
その区役所の脇を流れている隅田川沿いに和服姿で刀を差した高さ2.5mの海舟の銅像が建ってます。イメージ 2イメージ 3イメージ 4
こりゃ桂浜の竜馬像と互角かもしれません、そばでみると結構これがまた大きいです。
右手で正面を指す海舟は隅田川下流をまっすぐ見据え、凛とした表情を見せています。
建立は比較的新しく地元の有志らによる5年前といいます。
「優れたグローバル感覚の持ち主で海舟の向いている方向は、大海原へと出て行く大志を表しているという」
ちょうど海舟が見つめている先に吾妻橋が見えます、先の写真はこの端の上からのです。

 

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さらに次の現場は、そこから進むこと2kmの両国公園、今回の移動はすべて徒歩だったため日ごろ体力不足のおじさんはクタクタとなりました。

 

ここには文政六年(1823年)に勝海舟の生家があったところです。
両国駅から徒歩10分程度(まっすぐに寄り道しないで)。
ほぼ住宅地の中にあるので探すのに苦労するのではないかと思われます。
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正面の石碑(勝海舟生誕之地)には西郷吉之助書の文字が・・・
当初、案内板も何もなく、ましてやこんなこじんまりとした所に
碑があるなんて不思議な感じです。
なお、後ろの両国小学校には、芥川龍之介が通っていたそうです。

 

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そして、本日最後の目的地へと向かいます。
相撲部屋や町工場が沢山ある路地を抜けると「能勢妙見堂」なるものが見えてきます。
江戸時代に海運厄除けで人気を集めた寺院らしく、ここはイメージ 7
幼少時代に勝が大けがをしたとき、父・小吉が回復を祈願して水篭りをしたところ
境内にはひげを貯えてコートを着た晩年の勝の胸像が建っています
男のダンディズムですかね。こんな感じで年をとりたいと思うのでした。
今回は、カメラ片手のおじさん、職質も受けず無事に帰ってくることができました。
 
 
 
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