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▶島津家発祥の地

 
※閲覧注意:ブログ引っ越しで写真が傾いてしまいました。
顔を傾けて御覧ください。
 
★道路沿いの標識はこんな感じ↓
 
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★やっと探し当てましたが住宅地のド真ん中でありました!

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★当時最大の荘園「島津御荘」はここ辺り?右前方は雲に隠れる霧島連山

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都城島津家正面玄関、中には入れせん

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★スクープ?となった「天皇宿泊記念碑」

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都城歴史資料館

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 NHKで放送されている篤姫も佳境に入り、

視聴率も上がってきてますね。

 

番組の中で紹介された「島津家発祥の地」が
昨今、話題となっていると聞きます。

同番組では鹿児島県の出水が発祥の地と放送されましたが
これについて宮崎県都城市が異議を唱えたものです。

 

文献などによると鎌倉時代初期には
島津家の始祖、惟宗(これむね)忠久が鎌倉より
下降し下司職・惣地頭職に源頼朝より任じられ、
当時あった島津荘から名前を取りこの都城の地に館を構えて
島津氏を名乗ったとあります。
 
その後室町時代から戦国期にかけて日向・大隅・薩摩にかけて
強大な威を振るったのが島津家の始め。

 

そうですね、一個人のコメントですがルーツは都城
中興の祖が本家鹿児島となるんでしょうか。
 
そのルーツを確認すべく祝吉(いわよし)御所へとやって来ました。
この祝吉御所ですが昭和九年に県指定となっています
意外と古いんですね!
 
今となっては案内板の古絵図を見て想像を掻き立てるしかない
のですがやっぱり当時にタイムスリップしてみたいです。

 

さてここから数キロ先には都城島津家邸宅が残っています。
いきさつは詳しく知らないのですが
現在のこの建物は都城市が管理しております。
 
そしてその島津家からは国宝級の品々が市に寄贈されたそうですが
邸宅とともに一般市民にも早めに開放してもらいたいものです。

 

垣根の間から監視を続けていると何やら石碑のようなものが見えます、
これはと思いすかさずズームをかけてみると、
なんと「天皇皇后両陛下宿泊記念樹」との文字が
※一般の歩道から撮ったもので盗撮ではないと思いますが許可は得ていません

 

早速ですが因果関係を調べて見ましたところ、
1973年にとなりの小林市で第44回全国植樹祭が開かれたときに
宿泊されたようです。
 
でもなぜ一般のホテルではなくこの類なのでしょうか?
こちらもちょっと調べてみると昭和天皇の皇后の母方も島津系で、
母は十二代薩摩藩主の島津忠義の七女俔子(ちかこ)。
そして忠義の父は久光となります。
多分、推測ですがこの縁故関係ではなかったのかと?

 

話題が少しづつそれていきつつ昭和天皇とのご結婚でも
山縣有朋の「宮中某重大事件」や関東大震災などで輿入れは延期されます。
 
この部分は篤姫との共通点があり不思議な縁を感じます。
その後に原敬暗殺事件にも関連していきますが、それは・・

 

さらにここから車で10分ほど走ると「都城歴史資料館」があります。
歴史資料館は「城山」という地区にあり、
都城島津氏の第二代北郷義久が永和元年(1375年)に築城後に「都之城」とした
由緒ある場所でもあります。
 
それ以来、島津氏はこの城を中心としながら、
この地方をほぼ統一していきます。
江戸時代を迎えても、薩摩藩都城領として島津氏が治め当時として
4万石の城下町として栄え歴史・文化が育っていきました。

 

この資料館では、島津家に伝わる文書・美術工芸品と
都城の歴史・文化に関する資料を紹介しています。

 

館長は気さくな方で案内などを引き受けてくれますので
気軽に声をかけてみてはいかがでしょうか。
 
 
 
 
 
 
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