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@やっぱり人気度は・・明治維新vs戦国時代のどっち?

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明治維新と戦国時代の人気の謎に迫る?


こんにちは。

歴史探検倶楽部(全員で3名)のミィーティングでよ~く話題に上るが明治維新と戦国時代です。
なぜこの時代に人気があるのか不思議ですよね、会員以外に問うてもほぼ同様の回答が多いです。変化とリスクを好まない現状維持社会へのあてつけなのでしょうか(笑)。ともあれこの時代共通しているのは英雄が出ていることも考えられます。特に人気の高い坂本竜馬織田信長など枚挙に暇がありません、因みに会員の好きな人物を聞いてみると天草四郎福島正則武市瑞山(半平太)などかなりのマニアック度でした。それと篤姫を反映してか小松帯刀の名もチラホラ。。。

そしていきなり・・

《信長ざっと歴史》
1543年種子島ポルトガル人が漂着したことから始まる。これが西洋と日本との出会いとなりました。
彼らは火縄銃を持っており、ときは戦国時代で鉄砲はまたたくまに全国へと広がっていきました。またキリスト教も1549年に伝わっています。織田信長は1534年に戦国大名の子として生まれ1551年に家督を継ぎ尾張地方を平定します。その後今川氏を滅ぼしさらに美濃の斉藤道三を破り天下統一を目指しました。家臣の明智光秀の具申で将軍家の血を引く足利義昭を前面に京にのぼり1568年に義昭を15代将軍にして信長は、その後見人となりました。しかし義昭が裏切ったため信長は1573年、義昭を追放しここに室町幕府は滅びたのでした。このあたりから信長の天下統一の野望は加速していきます。
浅井、朝倉連合軍を破り、1571年比叡山焼き討ち、1575年武田氏を討ち一向一揆の平定。いっぽう楽市楽座で経済を繁栄させたり、安土城や城下町を築きました。しかし1582年天下統一を目前としたところで家臣の明智光秀に本能寺で襲われ命を落としたのです。

安土城を訪ねる》
琵琶湖のほとりにある安土城、近年では大手道など発掘調査が進み安土城の全容が明らかになってきています。筆者が訪ねたときは夏本番じりじり照りつける太陽、あまりに観光地化されてないのでたまげたものですがそれはそれで震え上がるものがありました。頂上の天主台付近にはいまでも焼け落ちた瓦などが存在し当時としては画期的であった城の一部として人の手に取ることができます。
※ただし持ち帰りは文化財保護法で禁止さていますので・・・・
遠く琵琶湖を介し叡山、その向こうは京、信長と同じ目線で眺められるこの嬉しさ!感極まりますね。ただし天主付近は木立のため遠望は利きませんので・・・帰り際、石段の一部に石仏が利用されていましたがこれも信長ならではでしょう。

《同じころ世界では》
1531年、スペイン王室の支援を得たピサロが180人の兵で南米へ向かう。その地で繁栄していたインカ帝国を滅ぼしたのが1533年のこと。スペインは新大陸からの略奪で大儲けし、その金で海軍力を強化し俗にいう「無敵艦隊」を作りあげたのであった。1571年それまでイスラム勢力に握られていた地中海の制海権を奪還。1588年スペイン無敵艦隊はイギリス本土を征服しようとしたがイギリス艦隊に迎撃され壊滅してしまった。

歴史探検倶楽部では、ただいま会員募集中(笑)