こんにちは。
多分、この話知ってる方はいらっしゃると思いますが復習の意味も込めて見ていただけると幸いです。
さて前置きが長くなりましたが明け方、東の空が白むころ都内を通過し、お昼に高速を乗り継ぎ伊勢インターへとたどり着きました。軽くお伊勢参りを済ませた後に起伏にとんだ海岸線をひた走り紀伊半島の南端、串本町へ無事到着となりました。
以下遭難碑の背景となりますので順にご覧ください。
続きはフラッシュで・・・。
トルコと日本の関係を調べると山田寅次郎(1866~1957)を抜きにして語れませんので。
ケマル・アタチュルクの先生であってロシアのバルチック艦迂回の為の作戦を行い、日露戦争の秘密諜報部員としてかなり重要な役目を果たしたのです。東京出身の山田は、学業と語学を両立させたりっぱな好青年でした。
金額は数千万円もの募金を集めたのです。そして、その募金を外務大臣に届け「どうかこれを、トルコの遺族に渡して下さい」という。山田の心意気に打たれた外務大臣青木周蔵は、山田に「募金はあなたが直接届けなさい」と諭すようにアドバイスしました。
募金活動を始めてから二年が過ぎたころに山田は何とかトルコへ旅立って行きました。
そこでは皇帝アブドゥル・ハミト二世に招かれ、山田はそこでとても重要な申し出を受けたのです。「トルコに残り、士官たちに日本の精神と日本語を教えてやって欲しい」!!
山田はその申し出を受諾しトルコに一人残って、その後多くの優秀な士官を育てました。
その中に、後にトルコ建国の父となるケマル・アタチュルクがいたのです。
トルコ建国では山田の力そして日本の精神が、注入されたのでした。しかし1914年に第一次世界大戦が始まるとトルコと日本は敵対国になってしまった為、山田はどうしても帰国せざるえませんでした。そして二度とトルコの土を踏むことはかなわなかったのです。
しかしその後山田は負けてはいられません、日本のトルコ大使館設立に活躍して、エルトゥールル号遭難の地に慰霊碑を建立したのでありました。
最後の締めに下記はNHKで放映されたもので42分程度の内容です。
ぜひ最後までどうぞ!
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※当時の写真が散逸しアップすることができませんでしたのでANAからの空撮も入れてみました。