将門と不気味な秋葉原連続殺人事件の都市伝説とはいったい
のが平将門。
因みに神田とは、元々神田(かど)と読んでいた時期があり、将門に通じないでもない。
さらに、犯行日である6月8日は、鳥越明神の祭日にも当たっている。この鳥越明神とは、将門の首が飛び越えたことから、飛
び越えがなまり鳥越明神と名づけられた将門ゆかりの神社であります。
加藤容疑者は将門ゆかりの鳥越神社の祭日に、将門が祭られた神田明神の前を通って犯行に及んだのではないのでしょうか。
いるし同市内の池辺神社も、将門の首が埋葬されており、将門の剣、犬の掛軸、薬師如来など将門の宝物が奉納されているといいます。
まだまだ不気味な偶然の一致はきます。将門は北斗七星を信仰しており、北斗七星の呪術を使って、朝廷軍と対峙したので
す。そのためか、将門関連の伝承には数字の7が深くかかわっており市川市にある薮知らずは将門の影武者が死んだ場所とも言
われているが、この影武者が7人。また西多摩にある七つ石という場所も、将門が7人の影武者を使って、天敵・俵藤太をかく
者7人の一致、この偶然の一致はいったい何を意味しているのでしょうか。
さらに、この加藤容疑者と宅間守の犯行が一致しているという情報もあります。今回の惨劇は2008年6月8日に発生しています
が、この日からちょうど7年前の01年6月8日に宅間守が池田小学校に乱入、無差別殺人が発生しています。
<上記内容は新聞記事に一部加筆しております>
この国王神社は将門の娘が33回忌にあたる972年(天禄3年)にこの地に戻り将門の像を刻み、祠を建て安置し祀ったのがはじ
まりと社伝では記されています。昼なお暗い境内を一人歩くとさすがに前述の都市伝説が脳裏をよぎったりします。こういう
ときに限りなぜ人が居ないのでしょうか?ゆっくりと社殿へ辿り着くと内部には裸電球が煌々と点いていました。取りあえず
賽銭を投げ込み一礼、ほんとうはすぐにでも引き返したかったのですがこれではレポートになりませんのでじっと我慢です。
御神体は確認できませんでしたが将門の白黒の写真(座像)が飾ってあるのでこれで良しとしなければいけませんね。しかし
この座像とんだ災難に巻き込まれたりもしております。98年7月に盗難に遭い、その後無事埼玉県で発見されましたが犯人は自
称「露天商」でした。地元民はこの坐像が戻って来ないと毎年行われている将門まつりができないと悲観しておったそうです
が戻ってきたおかげで大喜びしたそうです。
なお今年は11月16日(日)にその将門まつりが実施予定ですので予定に組まれたらいかがでしょうか?
参道の石碑を眺めていると突然ガサッと音がするではありませんか、こりゃ出た!と思い後ろを振り返るとこんな所に場違い
な色白い好青年が立っておりました。びっくりしたのと薄気味悪さでさっさと車に乗り込み、車内からそっと様子を伺うとす
でにその姿は見当たりませんでした。
いずれにせよ関東地方では英雄なのであります。