こんにちは。
<案内板より抜粋>
逆井城は飯沼に臨む標高20メートルの台地先端部にあり、城の北側は飯沼、西側は蓮沼の入り江に接し
ておりました。飯沼は江戸時代の新田開発により水はほとんど無くなってしまいましたが幅1km、長さ
30kmにわたり当時の名残りを見せてくれます。いまから約400年以上前の戦国時代にこの飯沼が小
田原の北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの境界線でした。
侵攻を続ける北条氏は飯沼に築城をはじめ天正五年(1557年)10月に北条氏繁は藤沢より城の建物
を作るために大鋸職人をよんでいます。城主となった氏繁は盛んに佐竹氏・下妻方面の動勢を小田原へと
報告していますが翌天正六年(1558年)にこの城内で没することになる。その後氏舜が城主となりま
この城を見たとき先ずかなりのマニアックさに惹かれました。鉄筋コンクリートの城が多いなかで史実に
基づき再現されており幾多の空掘りなど戦国ならでは城の風情です。当時はかなりの忍者集団がいたらし
く前述の佐竹氏などの情報収集にあたっていたのかも知れませんね。
ること請け合いです。また鐘堀池というものがあり城内の誰か(女性?)が釣鐘をかぶり自殺したところ
とか?釣鐘を探すために何人もの人が池を掘ったため名称がついたともいわれてます。
なおこの釣鐘池ですが昼でも薄暗く、水はどんなときでも枯れることはないそうです。(写真ラスト)