毎年、この時期になると忘れてはならない「日本の一番長い日」が近づいてきます。
8月6日そして9日は、広島、長崎への原爆投下
今年で67回目となる終戦記念日
多くの犠牲のもとに今の平和があることを、決して忘れてはいけないと思います。
前置きが長くなりましたが
今回は、先の戦争で忘れてはいけない・知っていただきたいエピソードを2回に分け
報告したいと思います。
「雪風」は、昭和13年8月に起工され、昭和14年3月に進水しました。
戦争で、激戦といわれる海の戦いのほぼすべてに参戦し
数々の大戦果をあげただけでなく、ほぼ無傷で終戦まで生き残りました。
しかも乗員で戦死したものは、10人もいませんでした。
それで雪風の戦いが終わった訳ではありませんでした。
実はここからが本髄、知っていただきたいことなのです。
以下、雪風の戦績を列記します。
そして終戦を迎えるわけですが
その後は武装解除され引き上げ船として活躍します。
太平洋の各所を走り回り、15回におよぶ復員輸送に従事し
戦争が終わっても休む間もなく働き続けました。
往復によって祖国の土を踏んだ将兵は実に一万三千人以上にも及びます。
昭和22年5月、雪風は連合国側からも最優秀艦と賞揚され
抽選の結果、賠償艦として中華民国に引き渡しされる事が決まりました。
引き渡し式が上海の埠頭で行われたとき、艦内はくまなく整頓されて
塵一つありませんでした。
検査のため来艦した米英の海軍将校達は感激して言った。
検査のため来艦した米英の海軍将校達は感激して言った。
「自分たちは、こんなに整頓された軍艦をかつて見たことがない!」
迎え入れられます。
駆逐艦が「一国の海軍の総旗艦」になった瞬間でした。
駆逐艦が「一国の海軍の総旗艦」になった瞬間でした。
そんな雪風も昭和44年に台風の影響で甚大の損傷を受け
その生涯を閉じてしまいます。
その錨が台湾から返却され、現在広島の江田島に保管されています
なにやら触ると幸運が舞い込むそうです。
生まれ変わった日本にとって、そして発足間もない海上自衛隊にとって
極めて重要な意味を持つ事になる最初の護衛艦
その排水量1700トンのに与えられた名は「ゆきかぜ」
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