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▶筒抜けだった暗号

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今回は第二次対戦中の暗号戦について報告します。
写真上は暗号機パープルのスイッチ部分

 

前回の「ハル・ノート」まで日本はなんとかしてアメリカとの
仲を元に戻し中国での軍事行動の正当性を認めさせたうえで戦争を
避けようと交渉をしていました。

 

日本の外務省からはワシントンの野村大使に毎日電文で指示をして、
その結果も外務省へと報告されました。

 

ところが、これらの暗号すべてが解読されていたのです。
しかもとても早い時期で1940年8月には冒頭でも紹介した
「パープル」と名づけた暗号解読機まで作っていたのです。
そんなことも知らない外務省は同じ暗号を使い続けていましたが
1941年5月にドイツ外務省が日本大使の大島浩に警告しましたのですが
外務省は「その心配はない」と回答していました。

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写真上はワシントン軍縮会議にて左から、
徳川家達加藤友三郎、第29代大統領ハーディング

 

しかし実際は二十年ほど前にも日本はアメリカに暗号解読をされていたことが
ありました。
1921年にワシントン軍縮会議が開かれていたときの頃です。
その事実が判明したのはそのとき解読したハーバード・O・ヤードレーが
暴露本を出版したためでその本は日本でもベストセラーになっています。

 

その後日本外務省の暗号は何度も変えられたが、
やはり解読されていました。
アメリカは野村大使がハル国務長官に日本の「最後通牒」を届ける前に
その電報を解読し、事前に知っていたのです。

 

その日本も外務省と在ドイツ日本大使館の間で、
重大な軍事機密事項の情報連絡を早口の薩摩弁で行うという
イデアを実行しています。
これについては通常の国際電話で会話したため、
アメリカ軍は当然の如く傍受したが、解読に困難を極め、
最初はほとんどまともに解読ができなかったという。

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しかしアメリカ軍の中に鹿児島出身の日系人
がいたためこれも解読されてしまいます。
多分、吉村昭「深海の使者」の中の話だったかと思います。
 
本書は日本からドイツへ伊号潜水艦で向かいお互いの
兵器を交換するという内容です。
このなかでドイツが欲しがっていた「酸素魚雷」だけは軍機密ということで
譲りませんでした。写真は伊165型潜水艦(海大5型)

 

昭和17年から19年にかけて日本の潜水艦がドイツへ派遣されました。
伊30、伊8、伊34、伊29、伊52の五隻でこのうち完全に
往復できたのは伊8だけでした。レーダー、機銃、高速魚雷艇用エンジンなど
最新式の兵器や図面をドイツから譲り受けました。

 

さらにその頃、新たにドイツに向かった潜水艦がありました。
あのワスプを撃沈した木梨鷹一中佐が新たに艦長になった伊29でした、
ロケット戦闘機、ジェット戦闘機の設計図をシンガポールで降ろして
呉に向かっている最中、台湾沖で浮上航行中に米潜の雷撃を受け三本が
命中し生存者は見張りの1名だけでした。

 

話がそれましたが解読によって得られた情報を、
米国ではマジック(Magic)情報と呼び、政府高官の一部に限って配布されました。

 

真珠湾攻撃の際に、在米日本大使館からの覚書文書の手交が遅れ、
「だまし討ち」といわれますが実は、解読によって、
内容はすでに知られていたのです。
当然の事であるが、真珠湾を攻撃するなどとは書いてなく、
解読されたのは開戦の内容のみです。

 

暗号機は、敗戦時に完全に破壊して廃棄したので、
完品は現存していませんが在独日本大使館から、
スイッチ部分だけが捕獲されています(写真一番上)

 

ところでアメリカは日本の外交暗号解読する
解読器「パープル」を開戦前に八台完成させたといいます。

1号機はワシントンに置かれ、二、三号機はイギリス派遣使節団に託され、
四号機はワシントン海軍直下に、五号機はフィリピンの米軍情報班に、
六、七号機は予備としてワシントンに置かれ、
八号機は1941年にロンドンへ送られています。

 

しかし米軍にとって当時もっとも重要であった最前線基地のハワイへ
一台も送られていなかったのはなぜか?

1991年十二月、ロバート・B・ステッネットが出版した
「欺瞞の日」には17年間かけて集めた資料や千人以上へのインタビューで
ルーズベルト真珠湾攻撃を知っていながらハワイのキンメル司令長官には
知らせなかったと結論づけている。

 

もしルーズベルトが日本軍の奇襲を許したとなれば理由はひとつ
対ドイツ戦に参戦することを拒むアメリカ世論を日本のだまし討ちで
逆転させ日本との戦争を始め日独伊三国同盟に従いドイツはアメリカへ
宣戦するとの思惑が・・・

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それがアメリカの考えだとしたら日本の情報はすべて丸裸、
さらにはその先の世界戦の構想まで練っており
日本はルーズベルトに踊らされていたということになりますが
決定的な証拠はありません。

 

最後に、当時海軍も陸軍も最後通牒なしの開戦を強く主張していました。
開戦に関するハーグ条約自衛戦争には開戦通告は不要と宣言しており、
日本は自衛戦争のつもりだったのです。
それを外務省が押し切ったかたちでしたがその後の歴史が変わっていた
エピソードでもあります。
 
 
 
 
 
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