こんにちは。
今日は歴史的にターニングポイントとなった所謂「小山評定」の史跡を調査しに行ったので報告します。
場所的には栃木県小山市の市役所裏付近にありますがほぼ観光地化されてないため探すのは当初困難を極
めました。※場所は諸説ありますが今回はここ市役所裏説ですので・・・
ていったのであった。
従い本陣をおいた。しかし家康のもとに石田三成が兵を挙げたとの知らせが入ったことで話は急展開、2
会議となったのである。
址説などが囁かれているが小山で開かれた軍議が歴史的に重要な意味を持ちその後の歴史を変えたことに
は間違いないことは誰もが認めることです。
市役所裏にあったとされる小山御殿跡地は当時の面影は全く無くうっそうとした木々の間に灯篭が二基わ
ずかに佇んでおりました。柵で区切られた向こう側に空堀らしき物がありましたが特に案内板も無いため
想像の域をでません。遠く思川方面に目をやると対岸には白鵬大学の校舎が見て取れます。
もうすぐ約四百年前と同じ7月を迎えますが当時の武将達はどちら側に付くかで相当気を揉んだのではな
いでしょうか?自分ならどうしたのかなどと問い詰めても答えはでません、できればタイムスリップして
その瞬間に立ち会えればなどと勝手に想像するのでした。